はじめまして、アク太です!
このブログでは『北海道での生活を豊かなものにする』というのをテーマに、
- 転勤で北海道に住むことになった人
- 北海道に移住を考えている人
- もともと北海道に住んでいる人
に向けて北海道での暮らしを快適にする情報を発信しています。
この記事では、僕が「なぜこのブログをはじめようと思ったか?」について自己紹介や経歴を交えながら話しています。
まずは簡単に自己紹介をしていきますね。
自己紹介
年齢:38歳
性別:メンズ
家族構成:妻(32)・長女(3)・長男(1)の4人家族
趣味:K-POPとアクアリウム(名前のアク太はココからきてます)
生まれ育った場所:北海道の北の方
住んでる場所:北海道の真ん中らへん
経歴
生い立ち
1986年2月、北海道の北の方で生まれました。
3人兄弟の長男です。
我が家は北海道の中でも田舎の地域で農家を営んでおり、僕は内地(本州)の人がイメージするであろう「The 北海道」な環境でノビノビと育ちました。
ハイジのような大自然で、広野を兄弟3人で走り回っていたのを思い出しますね。
山・川・野原、なんの縛りもない自由な大自然を大いに遊びまくってました。
そのままのびのび育っていくと思いきや、僕は小学生になり様々な経験・訓練を受ける事になります。
学生時代
大空と広い大地の中で自由に育っていた僕ですが、小学4年生の頃、農業の経営がうまくいかず離農(廃業)することになりました。
我が家は両親の新しい仕事のため、近くの町へ引っ越すことになりましたが、それをきっかけに我が家の家族関係は少しずつ悪くなっていったのです。
- 農家時代の借金返済に追われ贅沢はできない生活
- 余裕のない生活に気が立ち、両親が喧嘩する日々
- もともと不仲だった両親はさらに関係悪化
このような状況が約2年ほど続き、両親は離婚することになったんです。母親が僕たち兄弟を引き取り、女手一つで食べ盛りの子供3人を養っていました。
このような状況だったので、子供ながらに「あまり贅沢は言えないな」という想いがあったのを覚えていますね。
そんなある日、僕が中学3年生になった頃だったかな・・・。母親の妊娠が分かり今の父親と再婚することになったんです。
母親は出産に向けて車で片道1時間ほどの病院に1週間入院することになり、今の父親も仕事を休んで付き添ってくれました。
そんなこんなで僕たち兄弟は1週間、子供だけ(15才・13才・11才)で生活することになりました。その1週間は今でも忘れません。
兄弟だけの生活が始まって4日経った頃だったと思いますが、我が家のストーブ(暖房)が壊れてしまいました。
北海道の真冬の時期で、地域にもよりますが僕が住んでいた町はマイナス(-)15~20℃になる時期です。
- お風呂から上がると背中からオーラが出るように湯気が立つ
- 家の中なのに寒くて白い息が出る
- 身体が芯から冷えて手足がかじかみ、リビングでくつろぐことも出来ない
おそらく家の中もマイナス気温だったと思います。無知な中学生だった僕はストーブの修理を呼ぶことも出来ず、兄弟3人で布団に入り暖を取ることしかできませんでした。
生まれて初めて、北海道の冬の怖さを知った瞬間です。
次の日、母親に付き添っている父親と連絡を取り、無事ストーブを修理することが出来ました。
「あー良かった。これで鼻水を凍らせながら寝なくて済む。」
直ったFF式ストーブの炎を見た瞬間、ものすごい安心感を得たのを覚えています。それまで当たり前に北海道の冬を過ごしていましたが、北海道の厳しい冬は暖房が命綱という事を身をもって知った出来事でした。
その後、母親も無事4人目の兄弟を出産し、高校入学から卒業まで平穏な生活を送りながら社会人時代に突入します。
社会人
高校を卒業してから、大手金融機関に就職することになりました。
幼少期から裕福ではない生活を送った経験から「将来お金に困るような生活はしたくない」という想いがあり、安定した企業を選んだのです。
その想いとは裏腹に、採用から何年かはお金に困ることが多かったのを覚えています。
- 寒冷地手当を使いすぎて暖房費が払えず冬に凍える
- 給料を使いすぎて1週間たまごだけの食生活
- お金がなくて雪道事故での車の修理が出来ない
など、なかなか安定した生活を送ることは出来ませんでした。(これは完全に自分が悪い)
ですが年数を重ね少しずつ給料が上がってくると、ちょっとの贅沢をしても大丈夫なくらい生活が安定していったのです。
こうして順調に?社会人経験を積んでいたある日、僕の転勤話(道内)が持ち上がりました。
初めての転勤という事もありワクワクして新任地に行きましたが、同じ北海道でも気候が全然違う事に驚いたのを覚えています。気温、湿度、風の強さ、雪の降り方、等々・・・。
まあ北海道の北の方から、約300㎞(東京から愛知・新潟に行ける距離)南下したので、気候が全く違うのも当然と言えば当然かもしれませんね。
そしてその地域での生活に慣れてきた頃、妻と出会い結婚することになります。
結婚~現在
結婚して2年くらいして長女が生まれたのですが、このタイミングで2回目の転勤命令が下り、そこで初めての単身赴任を経験することになったんです。(半年後に同居)
毎週休みになると妻と子供に会いたいので、片道1時間かけて車で帰っていましたね。帰省代(車の燃料代)がバカになりませんでしたが・・・。
そして半年が経ち、妻と長女と一緒に暮らすことになり「やっと家族で落ち着いた生活が出来る」と安心したのも束の間、会社から3回目の転勤命令が下りました。
たまたま妻の実家がある地域への転勤になり良かったのですが、妻と長女が来たばかりだったので「マジかよ」という感情は拭えませんでしたね。
そして今後もこういう事があるという事を踏まえて妻と話し合った結果、
- 転勤は単身赴任で対応する
- 次の赴任先で注文住宅を建てる(妻の実家がある事・単身手当の事を踏まえて)
という事になりました。
妻の実家がある地域は日本で一番寒い地域だったので、窓や暖房や断熱材に関してはかなり自分で勉強して(過去に暖房で困った経験から)生活費が安くなる家を建てる事が出来たと思っています。※ガス会社の人に「安っ!節約してます?!」って言われました笑
そして転勤時期が近づいてきた頃に、妻が2人目(長男)を妊娠していることが分かりました。
家も建ち、2人目(長男)も生まれ、転勤の大変さも忘れて、今では「家族4人で仲良く、北海道で普通の生活」を送ることが出来ています。
次は、そんな人生を歩んできた僕が「あったかライフ北海道」を始めた理由について話していきますね。
あったかライフ北海道を始めた理由
僕がこのブログを始めた理由は『北海道で暮らす人に心身も懐もあたたかく(豊かに)なってもらいたい』という想いがあるからです。
なぜこのような想いがあるかと言いますと、僕の幼少期~学生時代に経験した不満足な家族関係からきています。
この経験を大人になってから冷静に考えてみました。
「なぜ離婚した両親は仲が悪かったんだろう?」と。
考えていく内にひとつの原因が浮かんできました。
それは、余裕のなさです。
余裕の無さと一口に言っても色々あります。例えば、
- 経済的余裕のなさ
- 精神的余裕のなさ
- 時間的余裕のなさ
- 体力的余裕のなさ
我が家で言えば、経済的に余裕がなくなってから家族関係が悪化していきました。
借金返済のため経済的に余裕がない状態が続くと、支払いに追われて精神的にも余裕がなくなっていきますよね。
精神的に余裕がなくなると、ちょっとしたことで気が立ってしまい夫婦喧嘩などが多くなっていきます。その状態が続くことでどんどん状況が悪くなり、最悪の結果に繋がってしまったと思っています。
そして自分の子供が生まれてきた時に「子供にはそんな想いをさせたくない」という強い想いが生まれました。
さらにその想いは、将来我が子が出会うであろう「友達になる子」「お世話になる人」「結ばれる人」まで広がっていきました。
僕はこの「あったかライフ北海道」というブログを通じて、北海道に移り住む人や北海道での生活に困っている人に経済的・精神的な豊さを手に入れて欲しいと思っています。
その為に僕が人生の中で得た経験、
- 余裕のない生活の中でいかに贅沢できるか
- 金融機関に20年務めて得た知識
- 北海道の冬の厳しさを味わった経験
- 転勤3回、引越し12回、北海道4地域での生活経験
を生かして、北海道で豊かに暮らすための情報を発信することに決めたのです。
このブログが、あなたの「あったかライフ」のお役に立てる事を心より願っております。